第8回福澤杯争奪全国学生辯論大会「その生ヲシニ遂げる」 |
バイト帰りの暗い道、玄関を開けても「おかえり」の声はない。寒い6畳のワンルーム。冷えたコンビニ弁当はもう何日目だろうか。今日もシャワーだけ浴びて一人ベッドで眠る...。寒風と共に身に染みる、孤独感。
みなさんは、「孤独」を感じたことはありますか。
いま述べた情景はさすがに大げさじゃないか。日常でそんな孤独は感じない。そう思われるかもしれませんが、思い出してみてください。コロナウイルスによって一変してしまった日常を。一人で受けるオンライン授業。友だちと会うこともできない日々。外に出ても商業施設は閉まったまま。そんな非日常が、長らく日常となってしまっていたのです。少なからぬ人々が、孤独感に苛まれていたのではないでしょうか。最近こそコロナ禍からの脱却が進んでいますが、孤独の恐怖がなくなったわけではありません。今は大丈夫というあなたも、10年、20年先ではどうでしょうか。絶対に孤独にならないと断言できる人は、そういないのではないでしょうか。誰しもが、孤独と隣り合わせなのです。
それって、怖くないですか。孤独は怖い。そんな怖いものが、潜んでいる。
私は、願わくば孤独を打破したいと思い立ったのです。
ここまで、孤独、孤独と述べてきましたが、孤独を感じるのはどんなときなのでしょうか。一人ぼっちでいるときでしょうか。しかしながら、家に帰って一人であったとしても、遠距離恋愛中のパートナーがいるとしたら孤独感に苛まれることは少ないでしょう。では、逆に周りに人がいれば孤独とは無縁でいられるかと言えば、そうでもないのです。いじめられている子どもに家族がいるとしても、子どもが家族に打ち明けられない状況下にあれば、その子どもは家族に囲まれていながらも孤独感に苛まれることは想像に難くないでしょう。
こうして考えると、孤独を実感するときというのは、当人が社会的つながりから隔絶されるときであると言えます。
では、孤独、即ち社会的つながりから隔絶されると、どうなるのでしょうか。直接に考えられるのは、自分を「無価値」だと考えてしまうことです。社会から隔絶されていると感じている状況下では「自分がいなくても誰も困らないのではないか」といった自己否定的な思考が強まり、畢竟生きる意味を見失ってしまうのです。また、孤独感により、寿命が短くなったり、自殺に向かいやすくなったりするといった悪影響も指摘されています。
無価値感・絶望感・無気力感、ひいては死にまでもつながってしまう「孤独」。なんとかして孤独を抱える人を救うことはできないのでしょうか。しかし、現状では有効な手段が確立されていません。孤独とは社会から隔絶されて、生きる意味を見失ってしまっている状態です。逆説的に、孤独から脱却するためには当事者になんとかして再度社会との接点を持ってもらうことが必要となるのですが、そう簡単にはいかないのです。そのため、現在はコールセンターやホットラインを通じた相談を行うことが主な対策となっています。たしかに、抱えている孤独感や不安を聞いてもらうだけでも気持ちは楽になるでしょう。
しかし、この解決策が最善かと言えば、そうではありません。孤独に陥り生きる意味まで見失ってしまった人を、電話越しのオペレーターが救ってあげられるのでしょうか。相談に乗ってもらうことは決して無駄ではありませんが、生きる意味を再発見して社会へ復帰するまでには至れません。
ここまでは孤独という問題、そしてその解決策が確立していないことについて述べてきました。では、そもそも孤独に陥らないようにどうすべきか、そして孤独に陥ってしまったらどう脱出すればいいのでしょうか。
答えは単純明快です。みなさん!『推し』をつくりましょう!
私自身、大学受験の際に、毎日一人で勉強机に向かう中で、誰にも頼ることができない孤独感から苦しい日々を過ごした時期がありました。そんな時に私の心の支えになってくれたのは、紛れもない「推し」でした。インターネット上で同じように「推し」を応援している仲間の存在こそが私の孤独感を紛らわせ、先の見えない受験期で私の生きがいになってくれました。
私の場合の『推し』はアイドルでしたが、もちろん、アイドル以外にも配信者やYouTuber、タレントなどを『推し』にしてもかまいません。かっこいいから。かわいいから。面白いから。歌がうまいから。どんな理由でも良いのです。とにかく、あなたが応援したいと思える存在をつくってください!
さて、まだみなさん『推し』を持つだけで孤独感から脱却できるのか?そう思われていることでしょう。実際に『推し』を持ったことがある人はもちろん、そうではない人は「これから『推し』をつくってみよう」と思わせられるように、『推し』の魔性的ともいえる魅力について語っていきましょう。
主観的に話してしまえば、『推し』の活動を見たいから今日も明日も頑張ろうと思える。孤独感なんて覚える暇もなく『推し』のことしか考えられなくなるから、『推し』を持つことを勧めます。
これは私の経験に基づく理由ですが、実際に推し活に励む人の心理と心理的健康との関連を調べた、文教大学による研究でも、推し活が生活に積極的な影響を与えることが分かっています。具体的には、ファンの「集団に対する帰属意識」により社会的なつながりを持てること、また、推しを応援するという役割を意識することで自尊心の向上につながるということが統計的に分かっています。さらには、熱狂的なファンであることが生活の質や健康の評価にも高い影響を与えることが示されています。
と、客観的な資料に基づいて語ってみたものの、やはり、『推し』の存在が人生を豊かにしてくれるという感覚は、実際に体験してみないと分かりにくいものであると思います。『推し』は自分から探して良い人を見つけるというよりは、天命的な出会いによって気付けば『推し』になっていた。ということが多いのが通常ではあります。しかし、ちょっと知らない分野の趣味を始めてみようか、といった心持で、いつ来るか分からない孤独に備えて『推し』を探してみてほしいと、私は思います。
もっともファンの心理に関する研究においては、推し活のネガティブな側面も指摘されています。ファンによる後追い自殺などがその典型例です。たしかに、熱狂のあまり現実が見えなくなってしまっては、結果として孤独に陥る場合と変わりません。
私がみなさんに提言したいのは、ある意味レジャー・趣味としての推し活です。ですので、一般人にとっては孤独に備えるための『推し』、すでに孤独に陥っている人にとっては日常生活に復帰するための中継地点としての『推し』をつくってほしいと思います。
現実社会で挫折してしまったとしても、『推し』を生きる目的として持ち続けることで、孤独感、無価値感を覚えることなく、再度立ち上がれるようにしておきましょう。
そして、もしもすでに孤独に陥っている人を見かけたら、あなたの『推し』を布教してほしいのです。こんな素晴らしい世界が。こんな素敵な『推し』がいるんだよと。そうしてみんなが生きる目的を持ってほしい。ゆくゆくは自分の人生自体を『推し』にしてほしい。
孤独、そしてそれがもたらす絶望感、無価値感といった自己否定、生きている意味なんてあるのだろうかというネガティブ思考。その問題意識から始まった私の弁論は、『推し』という意外な解決策に行きつきました。説明を終えた今でも、本当に『推し』が生きる希望たりうるのか、そう思われる人もいらっしゃるでしょう。
しかし!騙されたと思って『推し』をつくってほしい!
実際に『推し』に救われた私の言葉を信じてみてほしい!
推しを取っ掛かりに、生きる希望を!孤独からの脱却を!わたしは心から願っています。
ご清聴ありがとうございました。

