第4回國學院大學學長杯争奪全国学生弁論大会「慢心鉄を廃す」 |
2410円。飲み会に行くよりも手軽な価格で、どこへでも行ける。そんな魔法のチケットがあることをご存知でしょうか。青春18きっぷ。12050円で合計5日間JRの普通列車が乗り放題。その費用、1日当たりたったの2410円。
新幹線なら一瞬の区間を、車窓を眺めながらのんびりと進んでゆく。それでいて金の無い学生でも手の届く価格帯。高2の夏に邂逅を果たして以来、私は鉄道を通じて全国各地を旅するようになりました。
さて、そんな青年が鉄道に興味を持つようになるのは時間の問題でした。世間的に言えば鉄オタとなるのでしょうが、鉄オタの関心って大体ある一点に集まっていくんですね。ローカル線です。在来線の旅を楽しむ私もその例に漏れず、年々数を減らしてゆくローカル線に興味を持つようになったのです。風情のある路線なのだから、なるべくは残って欲しいなぁ。そんな想いを抱いて。
しかし、現実は非情です。人口減少やマイカーの普及に加えて、例のウィルスがやってきたことにより鉄道は全国的に大打撃。不採算路線の赤字をドル箱路線の収益で埋め合わせる、という従来のやり方は機能不全に。JR各社のほとんどは単独での維持が困難な路線を公表し、自治体に対してローカル線の見直しを積極的に求め始めています。見直しというと曖昧ですが、詰まるところ人が全然乗ってない赤字路線をどうにかして切り離したい。そんな事業者の本音が、コロナ禍で噴出したというわけです。そして、昨年には国交省も地域の足を守るという目的でローカル線検討会を立ち上げ、国が主導する形で鉄道事業者と沿線自治体の協議を促進させようとしています。はっきりと明言こそしていませんが、あくまで目的は地域の足の維持。逆に言えば、地域の足として機能していないローカル線は、続々と淘汰されることでしょう。
悲しくはありますが、一度人が乗らなくなった路線を復活させるというのは、容易なことではありません。需要が減れば事業者は減便や値上げをせざるを得なくなり、利用者は更に離れてゆく。往々にしてローカル線はそんな負のスパイラルに陥るのです。であれば、無理に鉄道に固執せず地域に合った交通インフラが何なのか、これを模索するというのは、まったく道理に適っているのです。実に正論であります。調べれば調べるほど、鉄オタたる私も納得してしまいました。というわけで、私は鉄オタとしての想いとは折り合いを付けて、ローカル線……だけに限らない地域の足たる公共交通。この現実的な維持について、弁論で論じたく思います。
検討会が立ち上がったのなら大丈夫じゃないか。そう思われるかもしれません。ですが、崇高な理念とは裏腹に、その実践とはかけ離れた実態があるのです。国交省はローカル線に関する事業者自治体間の協議について「存続ありき」でも「廃止ありき」でもないとしています。しかし、候補となるのは鉄道の特性を活かせていない、つまり廃止が濃厚な路線だけです。仮に自治体が存続を望む場合は事業者の赤字をカバーできるほどの支出が求められます。ただ、それに応えられる自治体は多くありません。そういうわけで「JRとの協議に応じれば廃止は免れ得ない」として、存続を望む自治体は議論のテーブルに立つことすら遠ざけてしまうのです。官民一体で地域の足を守るはずの場が、建設的な議論ができない構造に陥っている。これ勿体ないと思いませんか。
また、地域の足を守るという目的がローカル線見直しの建前として形骸化しているというのも問題です。既に進行しつつある人口減少・人口集中は、大量輸送を前提とする鉄道の存在をじわじわと揺るがすとされています。ともすれば、今はまだ大丈夫。そんな路線も、将来的には赤字ローカル線に転落してしまうかもしれないのです。協議になるようなローカル線が復活した。そんな事例は過去を振り返ってもほとんどありません。ローカル線になってからでは手遅れなのです。だというのに、現状ピックアップされるのは手遅れな路線だけ。ガンで言うならステージ4。病は悪化してからではなく、軽いうちから治す。これは地域の足の維持にも通ずる態度ではないでしょうか。
簡潔にまとめれば、現状の協議はローカル線の存廃をめぐった不毛な対立に終始し、地域の足を守るという本質に至れていないのです。自治体にも意地があるのでしょう。ですが、誰のためにもなっていない。そんな状況は打開せねばなりません。
では、何をすべきでしょうか。私は一点の打開案を提示します。為すべきは、協議対象の拡大。現在協議対象とされているのは、輸送密度1000人未満の路線です。これを4000人未満まで拡大するのです。
いやいや輸送密度ってなんだよ。説明します。輸送密度というのは「1日1km当たりにどれほどの人が路線を利用しているか」という数値で、これが少ないほど利用が低迷していることを表します。参考までに山手線の輸送密度はコロナ禍の2020年でも72万人。一方で現状の輸送密度1000人というのは相当に人が乗っていない、運行本数も数えるほどのローカル・オブ・ザ・ローカル線なのです。
これを踏まえて、基準を拡大する意義をお話しましょう。大きく分けて二点です。
一つは余裕のあるうちからの協議を設けて、自治体の態度を和らげるというものです。輸送密度2000~4000人というのは、主に地方都市の郊外路線が該当します。これらは依然として赤字ですが、輸送密度1000人レベルと比べれば、十分に日常的な利用がある路線です。沿線自治体の協力が必要となることには変わりありません。ですが、事業者が即時廃止を求めるような路線でもないのです。これなら、自治体が廃止に怯えることもなくなるはずです。両者が前向きな姿勢で議論できる環境を整備する。協議の大前提として、重視されるべきではないでしょうか。
もう一つは、より確実な効果が見込めるということです。一度乗車人員が少なくなりすぎてしまった路線を持ち直す。これはやはり難しいです。鉄道に限らず、まとまった人数の利用を想定している公共交通自体の宿命とも言えましょう。よく挙げられるバス転換についても、利用が伸び悩み、結局バスすらも廃止となってしまった。そんな事例は少なくありません。つまり、策を打つべきは早くに限るのです。公共交通の特性を発揮できる、十分に人のいる地域においてこそ、官民共同で地域の足を維持する意味は大きいのです。幸い、こうした地域では列車の本数も人口も絶望的ではありません。どんな施策を打つにせよ、存廃が問題となるような路線に比べれば、その成功ハードルは極めて低いと言えます。どちらかと言えば予防的な策であるため、インパクトには欠けるかもしれません。ですが、使いやすい公共交通の存在は、街の住みやすさに大きく影響します。先ほど復活事例はないとお話ししましたが、早期的な取り組みによって危機を回避できた自治体は存在しております。まだローカル線のような無理ゲー環境でないうちに、効果を出しやすい環境で、地道な努力を重ねる意義は決して小さくありません。
これからの社会変容によって、公共交通は岐路に立たされることでしょう。しかし、学生や高齢者にとって、公共交通は生活の要。車社会の中でも、何らかの形で守っていく必要があるのです。可能な限り残っていて欲しい。誰も乗らないローカル線の廃止が進まないというのは、こうした願いが沿線にあるからだと、私は考えます。固執し過ぎてはなりませんが、鉄路を上手く活かすやり方。これを議論する意義は否定できません。
故に、我々は未来の話をせねばなりません。これからの鉄路を、公共交通を、守っていかねばなりません。まだ大丈夫。JRがなんとかしてくれる。そんな慢心は捨て去るべきです。鉄道を廃止に追いやるのは、そんな慢心なのですから。
最後に、常盤松の場にもう一度上がることを是としてくださった、國學院大學弁論部の皆様に感謝申し上げます。

